ぼくってこんな感じで働いてきました~大阪編~篠原秀和自己紹介

こんにちは!福井県敦賀市の建築会社あめりか屋の失敗しない家づくりアドバイザーの篠原秀和です。

あめりか屋施工事例←ぜひごらんくださいね☆

 

ぼくが働いてきた様子を

ぼくは日本大学生産工学部建築工学科を2000年3月に卒業してから、社会人として働き始めたわけですが、今のあめりか屋で働き出すまでに他の会社で働かせていただいておりました。

そのぼくが働いてきた様子をお送りして、どんな青春時代を送っていたのか?赤裸々に語ってみたいと思います。

さぁ!みなさん!!興味はないでしょうが、どうぞお付き合いください!!!笑

 

熊谷組で構造設計の仕事を

ぼくは大学(日本大学生産工学部建築工学科)を卒業して、準大手ゼネコンの株式会社熊谷組に入社させていただきました。(2000年4月入社)配属は、関西支店(大阪市京橋にありました)の設計部構造設計G。

大学の頃は千葉(習志野市)に住んでましたので大阪配属と聞いて少しテンションが下がりましたし、構造設計Gという辞令を見たとき構造設計グループとは読めず、構造設計ゴー?構造設計ジー?というくらい甘い人間でした。

 

最初はついていけなかった

大学時代は勉強を全くしてこなかった(逆に思いっきり遊んだ)という自負だけはあるんですけど、当時の熊谷組設計部というのは一流大学の大学院卒、しかも優秀な成績の方が入社するようなところでして、三流大学の成績下位クラスのぼくとはあきらかにレベルの違う世界でした。

そもそも構造設計というのは、建物の耐震設計や強度設計をします。建物の骨組みを設計するという感じでしょうか。構造設計の基本は『力学』です。モーメントがどうのこうのいうあれです。そうあれ。

つまり、そういう理系の学問的な知識が必要とされる職種です。しかし大学時代に勉強を全くしてこなかったのですから、専門的な内容は最初はほぼついていけず…。こんなことも知らないのは情けないと言われたりもしました。テヘ

しかし、持ち前のノリと気合で先輩方にかわいがっていただき、なんとかついていっていたという感じでした。(新入社員歓迎会では鉄板持ちネタの「コアラのものまね」を披露し、爆笑をさらったとかさらわなかったとか)

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↑若っ!笑

 

とにかく働いた

設計のようなクリエイティブな仕事というのは特にそうですが、ハイこれで終わりというものがありません。8時に出勤して17時になったら終わり・・・というわけではないってことです。

あの頃もそれと同じで、働いている時間はとても長いのはしょっちゅうなんですが、ぼくも夜遅くまで働くのが普通になってました。特に忙しいピークの頃は毎晩終電。土日も出勤。ということもありましたし、夜9時に帰っただけで、早く帰れた!どこに飲みに行こう!!と思ったりしたものでした。笑

とにかく結構働いたなぁ~って感じです。

 

仕事とは・・・

そんなこんなで振り返ってみると当時は「仕事とは、つらく・苦しくて、我慢するもの」というイメージが強かったかもしれません。

しかし、設計した物件がカタチになるという「モノづくりの喜び」も感じました。そしてよくしてくれる先輩や頼りがいのある上司のおかげで徐々に自信もついてきて、勤務としては大変でしたがとても充実している毎日でした。

そんな充実した毎日を過ごしていたのですが、入社3年目のある日・・・事件が起きたんです。

その事件とは・・・

さ、長くなってきたので、続きは明日にしますね。笑

↓続きの第2話はコチラ↓

ぼくってこんな感じで働いてきました~大阪完結編~篠原秀和自己紹介

↑衝撃の事件とは!??↑

 

 

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~今日の体重=89.6kg(+0.7)~

  • 篠原秀和のプロフィール写真
  • 篠原秀和:こだわりの注文住宅専門家

「家は家族の幸せのためだけにある」
注文住宅を建てることや家を売ることが仕事ではありません。あくまで家づくりを通して家族の幸せをつくることが仕事なんです。家づくりで抱えがちな不安を解消するために、500万円も変わる!?家づくり資金計画セミナーを年に数回開催(累計40組(80名))、月刊きらめき倶楽部(敦賀市総発行部数3万部)にはお役立ち情報コラムを毎月連載し、ブログは2013年4月から毎日更新中。
株式会社あめりか屋/専務取締役/一級建築士/1977年生まれ/福井県敦賀市

…というまじめな一面、実はおもしろいことが好きなただの食いしん坊です。仲良くしてやってください。

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