ぼくってこんな感じでした~学生編~篠原秀和自己紹介

こんにちは!福井県敦賀市の建築会社あめりか屋の失敗しない家づくりアドバイザーの篠原秀和です。

あめりか屋施工事例←ぜひごらんください☆

 

小学校の時に考えた『将来のこと』

ぼくの子どもの頃からの自己紹介をします。

昭和52年、福井県敦賀市に生まれ、平凡に育ったぼくは将来のことなんて考えてもなかった子ども時代を過ごしていました。

しかし、小学校の卒業文集を書いたときに将来のことを少し考えたのを覚えています。

小学生の卒業文集って、『なりたい職業』を書くところがありますよね。あなたはなんて書きましたか?

純粋な子は「プロ野球選手」とか「サッカー選手」とか。

ひねくれた子(ぼくの同級生なら分かるあいつ笑)は「サラリーマン(リラリーマン)」と書いて社会への反抗をあらわした?とか。

そこで私は何と書いたのかというと、実にマジメですね~。

なんと「一級建築士」って書いたんです。

しかし、当時ファミコンと野球に夢中(笑)で建築家になんか夢というまでもなく興味すら全くありませんでしたが、

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↑こんな感じですからね。笑

自分の祖父・親が建築業のあめりか屋という会社を経営しているということくらいは分かっていたので、親に気を使ったのでしょう。

気を使うことはないと思うんだけど、気をつかったんですねぇ・・・。かわいそうに。笑

 

高校生の時に考えた『将来のこと』

なんとなく、大学に行くんだろうな~と考えていた高校2年生の頃。進学の希望を担任の先生に聞かれた時、ぼくはなんと答えたのかよく憶えています。

先生「篠原、おまえはどこの大学に行きたいんだ?」

ぼく「東京の大学です。」

先生「え?まさか東京大学?」

ぼく「いえ、東京の大学です?」

先生「東京の大学か・・・。篠原は大学に遊びに行く気でいるのか?あかんぞ、そんなんじゃ!」

と怒られたんです。

なぜ東京に行きたかったのかというと、東京に行けば「東京ラブストーリーのような生活が待っている」と思っていたから。笑

ただの田舎者の都会への憧れです。

・・・というように、将来のことなんにも考えていない高校生でした。

 

大学受験の時に考えた『将来のこと』

当時受験をした学科は建築系の学科ばかりでした。

もちろん建築というものに対しての思いがなく、なんとなく「親の跡を継いだほうがいいのかなぁ」という雰囲気的な感覚でいただけで、建築系の学科を受験していました。

親からは「跡を継いで欲しい」と言われた記憶はありませんでしたが、それもなんとなくというか気を使ったというか、洗脳されていたというか・・・。笑

さて、そんな「東京に住みたい」という都会に憧れだけを持っていたわけですが、受験は4~5校受験したけど合格したのは滑り止めの千葉県習志野市にある日本大学生産工学部だけでした。笑

あれだけ東京といいながら千葉県民になってしまったわけです。笑

振り返ってみれば、完全に大学へは遊びに行く気満点なぼくを、大学に、そしてさらには県外で一人で暮らすことを、当然のように資金援助してくれた親には今になって感謝しています。

 

大学生の時に考えた『将来のこと』

さていよいよ始まった待望の大学生活。

「都会で遊びちぎるぞ~~~!!!」と張り切っていましたが、特になにか遊びに熱中することも無く、もちろん学業にがんばるわけでも無く、バイトをただ適当にしていて、なんにも得るものがなかった大学2年の秋。

人生を変えたとも言える出会いがありました。

それはスピリッツというテニスサークルのようないわゆるひとつの飲みサークル(あ、違います?笑)との出会いです。

偶然と偶然が重なって、私は2年生ながら仲間に入れてもらうことになったんです。

そこではとにかく遊びました。一生懸命に遊びました。

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↑そんな頃のぼく。今と大違いなので分からない人もいるかもしれませんが写真向かって右がぼくです・・・。

 

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↑当時流行っていたロン毛がいろいろと懐かしいですね。笑

しかし、その一つ上の先輩にとてもかわいがってもらい、「組織をまとめるには」「人生をよりよくするには」「後輩をどうやって育てるのか」「本気で遊ぶとは」というような人生哲学を自然と学ぶことになりました。

今思えば20歳そこそこのチャラチャラした風貌の大学生が遊んでばかりいるくせに、生意気に何を言っているのか、という気もしますが、当時の私にはとても大切なことを学ぶことができたんです。

そして、そのサークルのリーダー的役割を担うことを通して、組織のリーダーというものに将来なりたいという気持ちなったのもこの頃でした。

ふりかえってみると、それが今の経営者になるということと初めて繋がった瞬間でした。

 

さて、ここからの続きは「社会人編」で・・・。

↓続きの社会人編はコチラ↓

ぼくってこんな感じで働いてきました~大阪編~篠原秀和自己紹介

↑社会人になったぼくはこれまたいろいろありました。汗↑

 

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「家は家族の幸せのためだけにある」
注文住宅を建てることや家を売ることが仕事ではありません。あくまで家づくりを通して家族の幸せをつくることが仕事なんです。家づくりで抱えがちな不安を解消するために、500万円も変わる!?家づくり資金計画セミナーを年に数回開催(累計40組(80名))、月刊きらめき倶楽部(敦賀市総発行部数3万部)にはお役立ち情報コラムを毎月連載し、ブログは2013年4月から毎日更新中。
株式会社あめりか屋/専務取締役/一級建築士/1977年生まれ/福井県敦賀市

…というまじめな一面、実はおもしろいことが好きなただの食いしん坊です。仲良くしてやってください。

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