なぜあめりか屋という名前なんですか?

今日はよく聞かれるご質問から。
「なぜあめりか屋という名前なんですか?」
よく言われるのですが、上野のアメ横の服屋さんではありません。さらにいうと、水戸にあるハンバーグ屋さんではありません。(調べたところハンバーグうまそう!)
あめりか屋というのは、かなり歴史が長い会社なんです。なんと!実は本になっているくらいなんです。

amazonでも売ってるんです!!
あめりか屋商品住宅―「洋風住宅」開拓史 (住まい学大系) [単行本]
本の中身をかんた~んに説明します。
アメリカのシアトルで古着やさんを営んでいた橋口信助という方が、アメリカの建築について勉強して、日本に帰国してから
「日本にもアメリカ式の洋風住宅(椅子式での生活)を広めたい」
という夢を持ち、明治42年に東京虎ノ門で開設したのが、『あめりか屋』なんです。
※当時、椅子式の生活は「知性や経済力が無いとできない」という勘違いがあったそうです。
もしかして、あめりか屋が無けりゃ、今でも座敷・畳中心の生活だったとか?・・・んなわけないですが、夢というか目的がデカイですね~!橋口さんかっこいい!!
その後いろんな苦難を乗り越えながらも、事業を拡大し、大正~昭和初期では東京・大阪・小倉・軽井沢・京都に店を構えるまでの全国的に有名な建築会社となっていました。当時の建築もいくつかは今でも残っています。軽井沢の細川護立の別荘跡などは有名なところです。

↑これです。今はレストランになってるそうです。
そして、昭和初期に、京都店の設計士として配属(社員として)していたのが、ぼくのおじいさんの篠原恒造でした。
しかし、第二次世界大戦では、全国的な消費の減少と不況の影響や、敵性用語という指示もあり、あめりか屋の事業規模は縮小していきました。
当時、京都店で福井県の物件を担当していた篠原恒造が、戦後にここ福井県敦賀市にのれんわけというかたちで開業したのが、いまの『あめりか屋』ということになるんです。
だから、ぼくは三代目なんです。
京都と大阪にも同じくあめりか屋があります。ルーツは同じですが、経営は全く別なんですね。いろいろと情報交換させてもらいたいと思ってもいますが、なかなかできていません。
・・・ということが、あめりか屋という名前の由来です。
あめりか屋ホームページにも載っています。こちらもよろしければご覧ください。
…というわけで、過去に感謝しながらも、歴史がどうあれ業績には関係の無いことでもありますので、今を精一杯がんばらないといけないなぁ~って思って、もりもりがんばってます!どうぞよろしくお願いします。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました!!(^^)
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株式会社あめりか屋
福井県敦賀市長沢13-13-1
3代目一級建築士
家づくりのアドバイザー
篠原 秀和
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篠原秀和(シノハラヒデカズ)ニックネームはシノハラ(カタカナで。笑)
株式会社あめりか屋 代表取締役
一級建築士・住宅ローンアドバイザー
1977年6月23日生まれ
福井県敦賀市在住

2000年に日本大学卒業後、20代の頃は大手ゼネコンにて設計職と施工管理職を経験し、あめりか屋3代目として2007年から勤務。2011年頃から本格的に住宅事業を担当するようになり、業務は営業というか楽しいステキなお家づくりのプロデューサーをしています。
また自身のブログは2013年4月から毎日更新中。
・・・というマジメな仕事ぶりとはまた違った一面を持っていて、SNS(Instagram、twitter、Youtube、Facebook、TikTok)では楽しくてクスっと笑える投稿を日々発信中。ぜひフォローしてやってください。