10年半所属した青年会議所活動を振り返る。
青年会議所を卒業します
青年会議所は40歳で卒業することになってるんですけど今月いっぱい(2017年12月)で卒業します。
↑これは先日行われた卒業生を送る会。
ぼくは2007年6月に敦賀青年会議所に入会したので、10年半在籍していたことになりますね。
青年会議所が活動する目的は「明るい豊な社会を創造するため」です。
奉仕・修練・友情という三つの信条のもと、まちづくり・青少年育成・人財育成などの事業を行い、明るい豊な社会を目指して活動しています。
ぼくがやった活動
10年半もやっているといろんなことがありました。
最初はなんだかアホらしくなってやめようと思ったこともありましたが、多くの先輩から愛情や期待をいただくにつれ、責任感も出てきて自分ができることを少し背伸びしながらやってきました。
ぼくがやった活動の中で印象的なものを振り返ると・・・
会員を増やすため毎日行脚したり、憲法を考える事業で500人を超える女子大生の前で話したり、今の教育が抱える問題について多くの方と話し合ったり、東日本大震災の復興支援で陸前高田の保育園へ行ったり、いまの日本が抱えるエネルギー問題について立地地域だからこそできることをしたり、祝日の認知向上をするために日の丸つけてランニングしたり・・・などなど。
それら全ての活動がぼくの糧となり、友情を育み、結果として振り返ると、自分を人生を彩ってくれてたんだなと。
理事長を男にするという美学
2014年に理事長(敦賀青年会議所のトップ)をさせていただいたことがやっぱり印象深いです。
青年会議所には「理事長を男にする」というとても古臭い表現だけど、素晴らしい美学があります。
理事長から給料をもらっているわけじゃないのに、時間とお金を使って「理事長のために」と動くその姿は尊い。その誰かのために使った時間の蓄積がその人の魅力になるんだと思う。
がんばっていれば自然と、自分のため、自分が・・・と優先するよりも、誰かのためにと動けるようになるんです。
ぼくもそうしてきたし、ぼくが人を引っ張る立場になったときそうしていただきました。ただひたすらに感謝でしかありません。
当時のブログはコチラ⇒理事長ブログ始めます!(2014年残り3ヶ月)
やりのこしたことはない。幸せでした。
人は皆同じで、いつ死ぬか分かりません。
だからぼくはどう命を使うか?を大切にしたい。そして人生の最後の日には、「やりのこしたことはない。自分は幸せだった。」と思いたい。
人生と同じく青年会議所も40歳になれば終わりが必ず来ます。そんな終わりがくる時に、自分の青年会議所活動は幸せだった、やりきれた・・・と思えるように、今を一生懸命。そして誰かのためにと時間を使っていただけたら、終わりが来るときの景色が今と全然変わっていると思います。
アトラクションでもやりきりました
そんな感じでアツく、アツく活動してきたわけですが、アトラクション(いわゆるひとつの宴会芸)でも、大いに名を馳せました。
中でも一番大ウケだったのが、2014年の地区フォーラムin敦賀で、全てのあらゆることを踏み台にして(笑)、最後に笑いの全てをもっていったあの「ザ☆ピース(モー娘。)」を辻ちゃん人形・加護ちゃん人形と歌って踊ったとき。
↑約700人の前で歌い終わったときのこのやりきった表情よ。笑
ぼくの長い宴会芸人生の中でも最も手ごたえのあるステージでした。(知らんがな)
最後に
多くの先輩から信頼され、多くの仲間から力をもらい、多くの後輩から慕われて、そして社員さん含め多くのまわりの人から応援されて、おかげさまでやりきることができました。ぼくはとても幸せでした。
30代の青春をこの青年会議所に費やすことが出来たことをとても誇りに思っています。これから始まる40代の青春はまた新たなチャレンジをして、よりよい人生を送ります。本当にありがとうございました!
年末たて続きに続いた青年会議所関係の飲み会も昨日で最後。昨日の篠原塾の「篠原塾長卒業おめでとう会」を終えて、いよいよ現役としての青年会議所も全て終わったなぁ~と思い、振り返ったブログでした。
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篠原秀和(シノハラヒデカズ)ニックネームはシノハラ(カタカナで。笑)
株式会社あめりか屋 代表取締役
一級建築士・住宅ローンアドバイザー
1977年6月23日生まれ
福井県敦賀市在住
2000年に日本大学卒業後、20代の頃は大手ゼネコンにて設計職と施工管理職を経験し、あめりか屋3代目として2007年から勤務。2011年頃から本格的に住宅事業を担当するようになり、業務は営業というか楽しいステキなお家づくりのプロデューサーをしています。
また自身のブログは2013年4月から毎日更新中。
・・・というマジメな仕事ぶりとはまた違った一面を持っていて、SNS(Instagram、twitter、Youtube、Facebook、TikTok)では楽しくてクスっと笑える投稿を日々発信中。ぜひフォローしてやってください。