社名『あめりか屋』の名前の由来
こんにちは!福井県敦賀市の建築会社あめりか屋のこだわりの注文住宅専門家の篠原秀和です。
☆あめりか屋施工事例←ぜひごらんください☆
あめりか屋って変わった名前ですね~
みなさんからよくこんなことを言われます。
「あめりか屋ってい変わった名前ですね~」と。
昔勤めていた会社の上司が、「お前の実家「あめりか屋」っていうの?」「ログハウスでも建ててんのか?笑」と、からかわれたこともありました。汗
全く知らない人からは「何屋さんですか?」「焼肉屋?」「ハンバーガーショップ?」
・・・と言われたりします。。汗
なぜあめりか屋という名前なのでしょうか?まずはその歴史を紐解いてみます。
イス式の生活を日本でも
ここでおよそ100年ほど昔、明治の頃です。
アメリカのシアトルに渡り、古着屋を営んでいた橋口信助さんという方がおられました。
その橋口さんはアメリカでの生活であることを知ったそうです。
それは
「アメリカ人は身分の高い・低い、お金を持っている・持っていないに係らず、イスに座って生活(椅子式の生活)をしている」
ということ。
当時の日本人にとっては、椅子式の生活は「知性や経済力が無いとできない」と思われていたそうで、橋口さんはそうではないことを知り、驚いたそうです。
明治42年にあめりか屋が開設
その後橋口さんは現地アメリカの建築について勉強して、日本に帰国されました。
その頃からか「日本にも椅子式での生活、要するにアメリカ式の洋風住宅を広めたい」という夢を持つようになったそうです。
そしてその夢が実際に始まったのが、明治42年。
東京は虎ノ門で開設したのが今の会社のルーツである『あめりか屋』なんです。
しかし、もしかして、橋口さんが夢を持って帰って来なかったら、今でも座敷・畳中心の生活だったとか?・・・んなわけないかもしれませんが、夢というか目的がとてつもなくデカイですよね~!
かっこよくないですか?
大正・昭和初期は全国区だった
当時の日本の洋風住宅の先駆けとして活躍しつつも、いろんな苦難を乗り越えながらも、事業を徐々に拡大し、大正~昭和初期では東京・大阪・小倉・軽井沢・京都に店を構えるまでの全国的に有名な建築会社となっていました。
当時の建築物もいくつかは今でも残っています。
軽井沢の細川護立の別荘跡などは有名なところです。
↑今はレストランになってるそうです。
ぼくの祖父は京都店所属だった
そして、昭和初期に、京都店の設計士として配属(社員として)していたのが、京都生まれ京都育ちのぼくの祖父、(故)篠原恒造(つねぞう)でした。
しかし、第二次世界大戦で全国的な消費の減少・不況の影響や、敵性用語という指示もあり、あめりか屋の事業規模は次第に縮小していきました。
当時、京都店所属で福井県の物件を担当していた祖父は、戦後にここ福井県敦賀市で建築会社を開業する際に、「篠原建設」「篠原工務店」などという名前にしても良かったけど、せっかくであれば由緒ある名をいただこうということで、のれんわけというかたちで開業したと聞いています。
そして『あめりか屋 敦賀店』として昭和26年に独立し、平成元年にあめりか屋に社名変更し、今のあめりか屋となったんです。
(同じように、あめりか屋は、京都と大阪にもあるようですが、経営は全くの別です。)
あめりか屋の本まである
そんな長い歴史があるわけですが、内田青蔵さんというお方がその歴史をまとめてくださった本があります。
↑あめりか屋商品住宅―「洋風住宅」開拓史 (住まい学大系) ←現在でもアマゾンで買えます。
本の中にはむかしの広告なども載っています。
赤で示したように、京都店所属でぼくの祖父(篠原恒造)の名が載ってます。S11.10~S17.10までとなっています。
最後に
ここまで、あめりか屋の名前の由来についてまとめてみました。
由緒ある名前ですので、決して、「焼肉屋」でも、「ハンバーガーショップ」でもございません!
ぼくは少々、肉関係に造詣が深いかもしれませんが、焼肉屋でもハンバーガーショップでもないことをはっきりと証明できてよかったです!!
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~今日の体重=85.5(+0.8)~
篠原秀和(シノハラヒデカズ)ニックネームはシノハラ(カタカナで。笑)
株式会社あめりか屋 代表取締役
一級建築士・住宅ローンアドバイザー
1977年6月23日生まれ
福井県敦賀市在住
2000年に日本大学卒業後、20代の頃は大手ゼネコンにて設計職と施工管理職を経験し、あめりか屋3代目として2007年から勤務。2011年頃から本格的に住宅事業を担当するようになり、業務は営業というか楽しいステキなお家づくりのプロデューサーをしています。
また自身のブログは2013年4月から毎日更新中。
・・・というマジメな仕事ぶりとはまた違った一面を持っていて、SNS(Instagram、twitter、Youtube、Facebook、TikTok)では楽しくてクスっと笑える投稿を日々発信中。ぜひフォローしてやってください。